クズに承認されて嬉しいか?
僕たちの社会は不安に満ち溢れている。
そしてその不安を埋め合わせるために承認を求める。
「俺〇〇大学出身なんだ」→「頭いいんだね!」
「俺、〇〇企業に勤めてるんだ」→「大企業じゃーん!、すごーい」
「見て、ヴィトンのバッグ買ってもらったの」→「羨ましい!」
「私の夫、社長なの」→「いいなー、幸せじゃん!」
ペーパーテストの点数。学歴。年収。SNSのフォロワー数。
そんなことでしか人を評価できないクズが増えている。
自分でその人自身との魅力と向き合うことを放棄してその人の持つ客観的判断可能なパラメーターにのみ過剰に反応するクズだ。
そういった彼らの自動機械的な反応も彼らの不安からきている。
自分自身の感性で人を評価できる自信がない。人の能力を測ることができるだけの能力がないのだ。だからその不安を埋め合わせるために簡単でわかりやすい肩書きに飛びついてああだこうだ言う。
君は華麗な経歴を集めれば上手く人に承認を得られると思ってくるのかもしれない。でもそんなことでしか君を褒めることができない奴はクズだ。君の本質的な人間性には興味を持たないただのクズだ。あるいはそれでも認めてもらえれば君は嬉しいのかもしれない。かりそめの安心は得られるのかもしれない。
でも僕は君を認めない。
君が君として持ってる能力、賢さ、何かをやりたいっていう熱量、そして着物内から湧き上がってくるエネルギーからしか僕は君を判断しない。
〇〇大卒、〇〇会社部長、〇〇大会優勝。
名刺やTwitterのプロフィール欄に書かれたその文字は僕にとってはインクのしみと同じだ。
君は誰なのか。君が何をしたいのか。それだけが知りたい。
もう一度聞こう、クズに承認されて嬉しいか?
そんなことで君の承認欲求は満たされるのか?
定京俊樹
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