僕たちは本当に穀物であることをやめることができたのか
僕が大好きなジョークの一つにこんなものがある。ラカン派の精神科医の間なんかでは有名なジョークだそうだ。
ある精神科医のところに自分が穀物であると完全に思い込んでしまっている患者がやってきた。
その精神科はあの手この手を使って、無事その患者に自分が人間であることを認識させることに成功した。
その患者も確かに自分は人間だと言うのでその医者は完治したと思い、その患者を帰した。
しかし、すぐにその患者は飛んで戻ってきた。話を聞いてみると、先ほど鶏の群れにあい、自分が食べられてしまうのが不安でなんとかして欲しいと言うのだ。
その精神科医は彼に「さっき君は自分が人間であることに納得していたじゃないか」と言った。するとこの患者はこう言うのだ。
「もちろん、自分は自分が穀物でなく人間であることを分かっている。でも鶏がそれを分かっていなかったらどうするのか」と。
果たして、この患者の病は「治った」のだろうか。
もちろん治ってない。
この患者にとっての本当の病は、「自分が鶏に自分が穀物であると思われているのではないか」と思ってしまっていることだ。これを治さない限り、「自分が自分を穀物だと思っている時」と同じ行動をしないといけない。同じように鶏を恐れないといけない。
さて、僕たちは実はこれと同じことをしていないか。
お金持ちじゃなくても幸せになれる。高学歴じゃなくても能力がある人はいる。
ことを「自分は」分かっている。
でも他人は分かっていないかもしれない。
お金持ちじゃないと不幸だと思われるかもしれない。学歴がないと無能だと思われるかもしれない。近所の人に顔向けできない。
だから僕たちはそんなことは「分かっているけど」、お金持ちになるために身を削って働くし、つまらない勉強をして大学を卒業する。結局金持ちになれば幸せになれると信じて止まず、大学を卒業すれば無条件で評価してもらえると思っている劣化した人間と同じ行動をしなくてはならない。
これをしないと、周りからこう思われるから、とか評価してもらえないからという「なりすまし」では僕たちの病は治癒しないのだ。
僕たちが穀物であることを止めるためには「鶏にどう思われているかなんてことは考えない」ということから始めないといけない。
定京俊樹
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