ニューマニティ計画レポート① 〜2019年1月〜
序
僕は今どこにいてどこに向かっているのだろうか。
僕は今何を考え何を欲しているのだろうか。
僕はホームレスになった。他に道はなかった。僕が僕であることをやめることはできなかった。
僕は常に社会に対する違和感を感じながら生きていた。なんとか生きていた。
僕は生活するのには困らないくらいの家庭に生まれた。中流階級の少し上くらいだろう。兄も僕も中高と私立の学校に通っていたし大学の授業料も出してもらえた。その気になれば海外旅行にも行かせてもらえた。
僕は大学生だった。そして僕はそのまま社会人になるはずだった。両親は僕にそれを望んでいたし社会も僕にそれを要請していた。そこでは僕は僕であることを求められてはいなかった。
僕は生きるために僕を殺そうとした。できる限り社会のコードに合わせて行動しようとした。「普通に大学を卒業して普通にどこかに就職して普通に家庭を築いて…」なんてことを考えているふりをしようとした。だが、そんなことをしていても僕が社会に持っている違和感、僕が僕でない僕に持っている違和感は一向に消えることは無かった。
僕はだんだんと社会から離れていった。大学には足を運ばなくなっていったしほとんど人とも会わなくなった。話を合わせるために見ていたテレビも聞いていた音楽も全部やめた。そして今まで僕が僕でない僕に奪われていた時間を使って僕が読むはずだった本を読んだり映画を見たり様々な文化に触れたりした。大学には通ってるふりをした。親に見せる大学の成績表はExcelで偽造した。その事に罪悪感を感じられるほどの気力も僕には残っていなかった。けれどもこの生活は刺激でありとても充実したものであった。何より僕が僕として社会に触れることができているという事に感動した。
だがもちろんこんなことがいつまでも続くはずがなかった。普通に大学を通っていてるはずの僕に両親は住む場所を提供しご飯を作ってくれている。普通に就職するはずの僕にお金を使ってくれている。社会のコードに従っているはずの僕に社会は僕の権利を保障してくれている。僕は僕でない誰かの仮面をかぶることで生きることができているに過ぎない。こんなことにずっと耐えていられるはずがない。
そして僕はついに完全に壊れた。
文字通り何もできない日々が何日か続いた。僕はこの生活を抜け出さなくてはならない。僕は僕を守らなくてはならない。僕が僕であることを忘れてしまう前に。
2019年1月08日、僕は荷物をまとめ親に一声かけ、家を出た。ホームレスになった。一人になった。孤独と向き合う決心をした。
僕の新しい生活が始まった。
2019年1月
僕は家を出てすぐににゅーまにてぃ計画の第1章にとりかかった。 1月20日に一本目の動画を動画投稿サイトyoutubeに投稿した。それなりの反響があった。
ニューマニティ計画の第1章においての僕のメインの仕事は何か一つテーマを決めてそれにとことん取り組みそれを繰り返す。みたいなものであった。だがその前にそれがどんなものなのか僕が試してみたかったというのと人々に理解してもらいたかったという事があり短い期間の簡単な企画をしてみることにした。
一番最初の企画は「2週間でストリートパフォーマーになる」というものだった。なぜそんなことをしたのかというと大した理由はない。マジックというものをやってみたかった。
無事上手くいった。
今月は他にも何本か動画を出した。ユーチューバー的な面白動画みたいなやつも少しやってみた。そんなに反響もないし大変だし別に自分のやりたいことでもないので当分はやらないと思う。
動画投稿について
僕は動画投稿をはじめた。第一には記録を残すためだ。第二には仲間を作るためだ。僕たちの生活を、僕たちの未来を守っていくための仲間だ。
僕は情報を発信しなくてはならないしそれを誰かに見てもらわなくてはならない。僕の発言が誰かを傷つけるかもしれない。でも何かを表現するとはそういうことだ。僕には僕が表現すべきと思うことを表現することしかできない。
睡眠について
人間は睡眠をとる。一日に約一回。一日は24時間である。
僕も睡眠をとる。でも僕には家がない。日~木曜日は月額2万5千円ちょっとの定額プランを利用してネットカフェに寝泊まりする。金曜日と土曜日と祝日は駅で寝たり24時間営業の場所で座って寝たり、寝なかったりする。
駅で寝るのはとても寒い。周りからの目線もある。座って寝るのは疲れる。あんまりちゃんと寝た気がしない。寝ないのは次の日の生産性に影響する。健康面から考えても良くないとも思う。
睡眠をとらない人はいない。でも睡眠には質がある。すっきり起きれる朝もあれば異様な気だるさを感じる朝もある。
睡眠の質は色々な条件によって左右される。そしてその条件を整えるために多くの人がたくさんのお金を使う。高級な枕を買ったり、低反発マットを買ったりする。家に住んだりするにも実はお金がかかっている。
でもいくらお金をかけても良質な睡眠が完全に保障される訳ではない。寝れない夜に悩まされているお金持ちの人だっているし僕にだって気分爽快な朝はある。
それでも僕たちは睡眠にお金を払う。僕たちの昨日までの疲れを癒すために。希望に溢れた明日のために。
僕たちは現実にお金を払うのではない。希望にお金を払うのだ。
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