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2019-04-09

ニューマニティ計画③ 〜第1章について[1]〜

前回、ニューマニティ計画第1章の主眼は僕自身を「新しい人類」化することにあると述べた。そしてそのためには

  • 何か一つのテーマを決めそれについての研究を3ヶ月続けること。
  • その際誰に学ぶかを重要視すること。
  • これを4年間続けること。

という3つを守ることが必要であるということを述べた。今日はこれらのことについて詳しく述べていく。

[1] 何か一つのテーマを決めそれについての研究を3ヶ月続けること。

学習の論理と正当化の論理

人間が何かを学習するということは何かにハマる、熱中するということと切り離せない。

僕たちは繰り返し繰り返し反復することで何か新しいことを学習したり新しい身体の動きを獲得したりするからだ。

僕たちの学習ということにおいて何かを学んでいくための論理とそれを正当化するための論理は二つ違うものである。

僕たちは何かを学ぶときには反復によって学習する。例えば跳び箱が飛べるようになりたい時、手を遠くの方につき足を広げてお尻をあげれば跳べるのだということを理解したとする。しかし、実際にできるようになるにはそれを繰り返し練習する必要がある。

そして繰り返しに必要なのが熱中である。

学習とは抽象化の過程でしかない

人間が何かを学習するということは何かにハマる、熱中するということと切り離せない。

学習とは抽象化の過程でしかないからだ。

どういうことか。

ある概念というものは様々の他の概念との関係のネットワークの中で存在する。

何かを学習していくということはそのネットワークの理解を広げていくことである。

そしてそれを抽象化という。抽象化とは抽象度をあげることである。抽象度とは視点のことだ。

例えば僕がポチという名前のトイプードルを飼っているとする。僕はポチをいろいろな視点で捉えることができる。

ポチをポチをとして捉えることもできるし、ポチをトイプードルとして捉えることもできポチを犬としてできることができる。

ここにおいてポチとトイプードルと犬との違いとは視点の違いである。

ポチをポチとして捉える方がポチを犬として捉えるよりもポチを高い視点で捉えている。

視点に高い低いがあるように抽象度にも高い低いがある。そして物事をより低い視点で捉えるための概念を抽象度の低い概念、より高い視点で捉えるための概念を抽象度の高い概念、という。

学習とは物事をより抽象度の高い概念で捉え直していくことである。

一般にポチをポチとして捉える方がポチを犬として捉えるより簡単である。ポチについて理解することの方が全ての犬について理解することにくらべて簡単だからだ。

ポチをポチとして理解するにはポチだけについて理解すればいい。例えばポチはチーズが好物だ。とか、ポチは毛が茶色い。とか、ポチはおもちゃを取り上げると怒る。といったことさえ分かれば事足りる。

しかしポチをトイプードルとして理解するには全てのトイプードルについて理解できていなければならない。もし隣の家のペットであるモモがトイプードルであればモモについても理解できていなければならない。これはポチを犬として理解する場合にも同様で、もし地球でない他の星に犬というものが存在し、本当にそれが犬であるならば当然それについても理解できているはずである。これが抽象化である。

この限りでは犬を知ることとはこの世界に存在する全ての犬について知ることとなる。だが実際には犬のことを知りたいからといって全ての犬について直接吟味するなんてことは出来ない。

では僕たちはいかにして抽象化なんてことができるのだろうか。

抽象化には大量の情報が必要である。そしてそれらのネットワークを自分なりに形成していくことが必要になる。ある物事に関して大量の情報とその関係を捉えることができるようになった時に人間はその物事をより高い抽象度で捉えることができるようになる。

そしてそのために一番有効な方法が熱中することなのだ。例えば数学に熱中している人は問題を解いたり本を読んだりすることで数学に関わる大量の情報を得ている。また一つの数式でも様々な視点で見たみたりいろいフォな違う場面で用いたりすることでそれについてのネットワークを頭の中で形成している。それゆえに数学に熱中している人はそうでない人にくらべてより高い抽象度で数学を捉えることができるのだ。

熱中すること

以上の考えから僕は熱中することに重きをおいたカリキュラムを組むことにした。これは既存の教育機関では出来ないことである。例えば大学などでは驚くほどのんびりしたペースで授業が進む。今週90分のゲーム理論についての授業を受けると来週まで待たなくてはいけない。しかもその授業を15回やって終わりである。恐ろしいほど少ない情報量である。他の授業との関連もあまり意識されない。授業を担当する教員も学問に対する魅力を語ることは諦め、これは試験に出るとか就職するときにどうとかこの知識が社会に出てどう役立つといった話しかしない。こんなところで何かに熱中するという方が難しいだろう。これは大学という機関がもついろいろな制約から起こってしまっていることでこの環境を変えるのは難しい。

なので僕はその環境を自分で作ることにした。

テーマについて

テーマは大きくても小さくてもいい。物事に関して大きな視点で考えることも小さな視点で考えることもどちらも大切なことだからだ。

テーマは自分が熱中できるものでなければならないがあまり自分の問題意識と近すぎないものが良い。あまりに自分の興味に近いものだけをテーマにしていては知のネットワークも広がらず抽象度が上がらないからだ。

また、テーマはあくまで思考の軸である。そこから関係があるものにどんどん思考を広げていっていいし脱線も大いに結構である。例えば、人間の心理についての研究をしている時に猿の脳について興味を持ったらそれについて存分に調べていいし、どういうわけだかそこからカマキリの生態に興味を持ったって構わない。これは何を中心にものを考えるかということだからだ。

期間について

一つのテーマについての研究期間を3ヶ月とした。正直これにはあまり理由はない。3ヶ月くらいで一通りのことは学習できるのではないかと考えた。


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