サッカー球回し騒動とフェアネス
前回はサッカーの球回し事件についてマネージャーとして、コーチとして、という二つの視点から西野監督を批判しました。
もうほとぼりは冷めた頃と思いますので今日はもう一歩踏み込み、違う視点から今回の問題を分析していきたいと思います。
サッカー日本代表の球回し騒動を受けて「あれはサッカーを冒涜している」、とか「相手チームや監督に失礼だ」といった意見を述べられている方がいらっしゃったと思います。
本当にあのプレーはサッカーを冒涜しているのか。本当に失礼なのか。だとしたらどのようにサッカーを冒涜していてどのように失礼なのかという事を考えていきたいと思います。
皆さんは「フェアネス」という言葉を聞いてどんな事を思い浮かべますか。
一般的に言えばフェアとは公平さ、公正さといった意味でしょう。
その中で今日はフェアネスといのは公平であり公正である事を目指すためのシステムであると定義します。
よく勘違いされている方がおられるのですがルールを守っている事とフェアである事は厳密には違います。
でも「お互い同じルールの中でやってるのだったらフェアに決まってるじゃないか」
そう思われる方もいるかもしれません。
しかしそれは違います。
なぜなら全くフェアではないルールだって作れてしまうからです。
オリンピックのルールというのは誰が選んだのかも分からないような一部の人達が勝手に決めています。例えばオリンピック競技の一つである柔道は圧倒的な強さを見せていた日本が不利になるように何度もルールが改正されています。さらに極端なことを言えば今後柔道は体重別階級をなくすというルールができるといった事だってなくは無いのです。
これは外国の選手に比べて体格の小さい日本選手には圧倒的に不利になります。そういったルールはフェアでもなんでもありません。
逆に言えばたとえいくらスポーツのルールがフェアネスを実現しようとしたもの出会ったとしても完全に誰に対してもフェアなルールを作る、というのはとても難しいことです。
ですからやりようによってはルールをアンフェアに運用することはできてしまうのです。そして今回日本代表はそれをしました。
確かに彼らはルールは破ってはいなかったのかもしれません。
ですがスポーツというのは本来全ての選手が何にとらわれることもなく勝つ事、よりいい記録を出す事を目指し全力を尽くす事ができる場です。
それがサッカーのように相手チームと1対1で戦うスポーツであればなおさらです。
しかしあの時日本代表は試合に勝つ事を放棄しました。これは相手チームや観客はもちろんサッカー、さらにはスポーツそのものを冒涜した事に他なりません。
スポーツにおいてフェアネスとは単にルールだけのことではありません。そのルールの中で私たち自身がどれだけフェアにプレーできるかというかを考える。そういった行為そのものがフェアネスなのです。
今回の事を機会にフェアネスとはなんなのか。果たして私達は常にフェアなプレーができているのか。といった事を私達はもう一度考え直さなくてはならないのかもしれません。
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